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演劇における即興性の考察(真面目注意!)

即興でパフォーマンスするとは何だろう?

即興演劇というものに1年近く関わってきて、最近こんなことを考える。

様々な芸術のジャンルに即興性というものは存在するが、中でも演劇における即興性というのは一番ぼんやりしている。
その理由としてあげられるのが、演劇が他のジャンルと比べて理性的であるということだ。

即興というものは、その場の衝動による表現の掛け合いが魅力なだけに、理性とは非常に相性が悪い。
普段のように頭に頼った掛け合いをしていては一歩も二歩も遅れてしまうからだ。
故に、理性よりも感性が重視される音楽やダンスにおいては、即興が一ジャンルとして確固たる地位を築いている。

それに対し、演劇はそこに言語という表現法が足されている。
言語は非常に理性的だ。頭が発達し過ぎた人間が生み出した防衛手段である。
これに即興性を組み込むことが非常に厄介なのだ。
そのせいか、演劇における即興性は現在もここで進化が止まっている。
そうなった時に即興演劇人たちが考えることは、言葉による笑いに走るということだ。

日本は特にお笑いという文化が世間に根付いているため、
そういった言葉選びのセンスといったものに触れる機会が多い。
その結果、言葉選び巧みなプレイヤー=面白いプレイヤー=うまいプレイヤーという、本来ない方程式が完成してしまった。
それが悪いと言っているわけではないが、やる場所が違う。
やるならそういった場所で徹底的にお笑いを学ぶべきだ。
即興演劇人が目指すべき場所は理性からの脱却である。

以前、ジブリッシュ(デタラメ言葉)のみでパフォーマンスを行ったことがある。
言語がデタラメなため、複雑なことはわからないが、大体のところはつかめる。
むしろ、言語で表現を塗り固めないためか、相手の意図を感覚で読み取ろうとするため、脱線せずにシーンが進む。
これは、まさに理性からの脱却であった!
言葉を使わずとも、思いを通わせ、ストーリーを創る。
思えば、この時まさに「即興演劇」をやっていた気がする。

ここまでで勘違いしないでほしいのは、何も言語を使わなければいいというわけではない。
実際パフォーマンスの際、日本語は少ししゃべった。
しかもそれは、どうしても伝えなければいけない時のみに使った。いや、使わざるを得なかったというのが正しいだろう。
そこで気付いた!
言語とは元々こういうものではなかったのだろうか?
どうしても伝えたいことがあったから、共通認識(言語)化した。
これが言語の本質なのだ!

今のコミュニケーションは言語で塗り固めているため、実に希薄である。
本来伝わるべきものが全く伝わらない。
言語がプラスアルファではなく、気持ちを薄めるために使われている。
これでは自分の気持ちも伝わらないし、相手の気持ちも受け取れない。
まずはそこを見直すべきだ。

即興演劇の未来は非言語コミュニケーションにあり!

今の僕(おしょう)の境地はそこです。
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